消えた雇用、終わる時代 〜多賀台団地

取材の際、かつてそこに住んでいた案内人は、こう言いました。「昔の賑わいは、今はもうなくなってしまった」と。

僕は子供の頃、一度だけこの場所を訪れたことがあります。団地のあちこちに子供のグループがあり、声が上がり、自転車やおもちゃが寄せてあり、夕げの匂いがしていました。

1962年、新産業都市建設促進法によって新産業都市の指定を受けた八戸市は、増加する雇用に対応すべく、この団地を築きました。八戸市の北西、奥入瀬川を背にした高台の上、太平洋を望む。よろこび多き高台 - 多賀台。子供の頃は「うわぁ、都会だなぁ!」と感じたものですが、そんな当時から残る団地の建物は、今、その役目を新しい建物に譲りつつあります。再開発が行われているのです。同じ区画内に新しく造成されている団地群の現代風でキレイな家々と、古い団地のコントラスト。切ない光景です。

僕はかつてここがまるで「八戸のゆりかご」と呼びたくなるような、暖かい賑わいに満ちていたころを懐かしみながら、その姿を心に刻もうとカメラを構えます。ファインダー越しの光景、八戸の発展を支えたその団地の往来で耳を澄ますと、まだかすかに賑わいの余韻が残っているかのようです。人の営みの果てにほころびた建物がにじませる、胸を打つ「古さ」。建て替えが進む多賀台団地を眺めながら、八戸のひとつの時代の終わりを確かめます。

'07 08月15日 (土) 16時21分:多賀台団地

敷地に入った途端、何か不安に似たものを感じました。

夏の昼間にも関わらず、人の気配がない。

何か不思議な「場の力」のようなものを感じます。

車を降りて、辺りを見渡します。

ぽつんと立つ掲示板、盆踊り開催のポスター。

まだ人は住んでいるのに、

建物から生活感が蒸発しきっている。

夏の強い光の下、キリコの絵にでも迷い込んだようで、

古い建築様式の美しさを眺めながら、しばし呆然としました。

往来に人はなく、ただ道が伸びるだけ。

光と風で色を失った壁と、雑草の緑のコントラスト。

今よりも小さく設計された扉は上品で、予感めいている。

見事に枯れ尽くす紫陽花。

今は役目を全うした紫陽花を見ながら、

改築が進む多賀台団地が成した役割の大きさを思う。

はるか太平洋を見下ろせる、素晴らしい眺望。

賑わいがあった頃は、多くの人々が誇らしく眺めた事でしょう。

今はそんな人々の声や足音、駆けゆく子供達の姿はなく、

太陽の下、影ひとつありません。

団地の中心部にある公園にも人影は失せ、

ただ扉だけが、主の帰りを待っています。

「みんな、どこにいったのだろう?」

ペンキも色あせたタイヤたちも、

じっくりと夏の日差しに耐えるだけ。

音が聞こえない、音が聞きたい、という想いが胸からふいに出る。

「まいったな」と、僕は独り言を言いました。

帰り支度を整えながら車に戻る途中、

やっと一人、住んでいる方がいらっしゃいました。

結局、ここで会った人はさっきの方一人だけでした。

多賀台団地近くにあるグラウンド、

とんぼが一匹、静かに羽を休めています。

戦後の経済拡大路線は、日本全体として終わりましたが、

当時の経済成長を支えた多賀台団地は、

今はもの言わず、静かに八戸の町を見下ろしています。

ひとつの時代が終わり、

人はうつろい、八戸は生まれ変わっていきます。

街へ戻る車中、水平線は堂々とそこにあって、

終わった時代と終わらない海のコントラストが、眩しかったのです。

消えた雇用、終わる時代 〜多賀台団地 終

解説と提言

敷地内に足を踏み入れた瞬間の事を、僕は今でも憶えています。夏の昼下がりという時間は、あまりに静かで、人の正常な精神を狂わせる何かがあるようで、車から降りてしばらく立ち尽くしてしまいました。八戸のあちこちを歩いて来た自負があった僕は、こんなパワーを持った場所が八戸にもあったのか! と驚いたのでした。

ただし、上記でも触れましたが、この古い団地群は団地の一部であって、奥の方では新しくキレイな団地が新たに造成されていることを付け加えておきます。多賀台団地は立て替えの真っ最中であり、だからこそ古い建物を写真に収めておくべきだろうと考えたのです。漁港でしかなかった八戸を、漁業と工業の2つの柱を持つ大規模な港湾都市に育て上げた人々が寝起きしていたこの場所について、右肩上がりの成長が完全に終わった今だからこそ、総括したいという思いがありました。

しかしながらこの多賀台団地、公式ホームページもなければ、八戸市のホームページでもほとんど記載がありません。インターネット上に情報が無いのです。市の成長に多大な貢献をしたにも関わらずです。近年、白山台に新しい住宅地が造成され、美しい街並を作りつつあります。ただの湿地だった田向の商業地化が推進され、市民病院と大きな商業施設が作られました。それはもちろん良い事なのですが、これまでに市が開発した様々な場所について、市の総括無しに放っておかれているように感じるのです。建て替えこそ進んでいるのは良しとしても、ひと仕事を終えた多賀台団地が成したことを振り返ることなく、ただ建て替えるだけ・・・というのは、ちょっと味気ないような気がして、残念です。

だけど・・・残念だけど、それが町を開発するということなのかもしれないとも思います。役目はいつか終わり、代替わりしていく。終わっていくもの、去っていくものがそこにあるから、心が動く。だからこそ、僕はこれほどまでに多賀台団地という場所に引きつけられているのかもしれないと思います。

一方、ただの写真好きとして多賀台団地を眺めると、人の気配が消え風化しつつある建物群は非常に心惹かれます。建て替えられた新しい家に住める人が増えることは喜ばしいのですが、今の多賀台団地の風景を「多賀台団地が生まれた頃の様子」として、一部だけでも残しておく事は出来ないものでしょうか。一棟でも、壁一枚でも良いのです。近代に入ってから八戸に起きた唯一最大の変化である「八戸の工業化」を象徴するものとして、八戸の生まれ変わりを支えた立役者を市民が誇れるようにできないものでしょうか。

車がなくては行くのも大変な場所で、観光客が行くような場所では無いかもしれません。でも、その存在意義を市民が広く理解すれば、多賀台団地はただの団地ではなく、八戸発展の里程標として、八戸の未来を見守る存在になってくれるような、そんな気がするのです。

提言:多賀台団地は「八戸の工業化の礎」。その勇姿を、静かに見上げてみよう。

壁紙 : 1920×1200

ダウンロード