港という名の絆 〜グレットタワーみなと・夕景
僕は八戸に生まれました。「両親が八戸に住んでいたので」というのが味も素っ気も無い理由ですが、では両親は何故ここに住んでいたのでしょう。祖父母は、祖先は・・・。何故僕の祖先は八戸に集い、家を建て、ここで暮らしたのか。八戸が町になった理由は、何でしょう。
そんな疑問は、八戸を全部くまなく眺められる場所で考えるのをお勧めします。2007年に完成した「グレットタワーみなと」は、測候所と展望台という港町にとって非常に重要な機能を提供してきた高台の上にあり、八戸を一望できるスポットです。エレベーターで十秒ほどで目の前に広がる港町八戸のパノラマビュー。八戸を構成する主要な要素がすべて見渡せると言っても過言ではありません。
八戸というこの土地は、なぜ人が集い町になったのか。僕はどうしてここに生まれたのか。そんな疑問に対する僕なりの答えは、凛と澄んだ北風の向こうに太陽が落ちる間際、強い西日によって僕の心の中に照らし出されることになりました。
'08 01月04日 (金) 15時21分:館鼻公園
2007年に出来たばかりの「グレットタワーみなと」です。
標高51.2m。見下ろすと・・・けっこう高い!
新井田側河口は、工業地域と魚市場が向かい合う港町独特の風情。
1月4日、正月気分も開けきらない中、工場は静かに動いていました。
お正月の明るく開かれた雰囲気が、微かにタンクに映えます。
タンクと向き合うは、かまぼこみたいな第二魚市場さん。
魚市場→加工場→住宅と、海からの恵みは隙間無く浸透します。
だからこそ、家々はまるで我先にと海に近づいていますね。
川が海に繋がるこの場所から、道は市の中心部へと伸びて行きます。
新井田側を少し上った先の煙突は、八戸セメントさん。
八戸のどこからでも見えるこの工場は、もはや八戸のシンボルのひとつです。
南東の景色は、海を望む緩やかな高台。
これだけの数の暮らしで町が成り立っているのだ、と感じ入ります。
海を見下ろす家々と、工場と、魚市場と、海と、橋。
そして最後に、港町を護る蕪嶋神社と堤防も忘れちゃいけません。
海・川・陸・人・道が集まり、この場所は港町になりました。
人と物と金が集まっては散っていく流れの中で、僕たちは暮らしています。
海と川の境界線にかかるこの橋が「夢の大橋」と名付けられたのも、納得。
その「夢の大橋」に向かうのは、天然ガスを載せるLNG船。
この巨大な船も、この場所に集ったという意味で「僕といっしょ」なんだなあ。
静かな波音を立てて陸へ戻り行く小さな漁船は、
袖も触れ合う距離でLNG船とすれ違いました。
陸をどんな気持ちで見つめるのか、漁師さん。
工業地達を横目にみながら、正月の夕日もあたたかく、
最後の白波を引きながら市場へと向かう船も、堂々と。
おかえりなさい、おつかれさま。
寒風の中でも、きらめく水面はやさしげで、
歴史と不況と生活を背負って色くすむ街並もやさしげで、
海に集い港町を作った人たちの絆が、街並の影に底光りしているように見えました。
グレットタワーの「ぐれっと」とは、南部弁で「全部、くまなく」の意味。
ここからなら、港町というシステムがくまなく見渡すことができます。
時代の変化は町を変え「何故ここに町があるか?」を忘れさせがちだけど、
これだけの人が集い、身を寄せて暮らし、町を作る理由は、
この土地と僕たちの心に、宿命的に焼き付けられているはず。
帰り道「湊橋(みなとばし)」を渡りながら、この町で生まれた僕の心は、
港町という絆で八戸と結ばれていることに、気付いたんです。
「港という名の絆 〜グレットタワーみなと・夕景」 終
解説
「げに美しさは海に宿る 〜島明神から法師浜へ」で紹介した法師浜漁港の景色は、展望台から見下ろすとすべてが肉眼で確認できました。太平洋を望む海岸線にポツンと出来た小さな砂浜と漁港は、忘れ去られた奇跡のような輝かしさに満ちていました。しかし、このフォトジャーナルで取り上げている「八戸港全体の景色」となるとさすがに規模が大きく、簡単には眺められません。しかし、2007年に完成したこのグレットタワーからなら、八戸港全体を一度に俯瞰することができます。港町というシステムを形作る産業や海に集う家々、川、伸び行く道といった要素を、「グレット」の言葉通り「全部くまなく」見ることができるようになりました。
八戸に澄む友人に話を聞くと、ひとまず評判も上々の様子。地元民からの評判が悪くないということは、観光資源としてもアリなのでは? と思わせます。僕も実はちょっとナメてまして、自分の目で確かめるまでは「本当にこんな展望台に意味あるのかね?」と疑っていたことを告白します。
単純に景色が良いという一点だけでも価値があるのですが、僕がとにかく面白いと感じたのは「八戸を構成する主要な要素がすべて見える」ということ。湾曲した港の中央部に位置していることと、25万人という八戸の規模が幸いしてか、主要な都市機能をすべて一度に眺めるられるんですね。「全体を把握できる」というのは見る側にとって理解しやすく、また気持ちの良いものであると思います。八戸市南郷区の島守盆地にも言えることですが、「自分の視界にあるものだけから、ひとつの町が形作られている」というのは、箱庭を眺めるのに似た心地よさ・全能感のような感情を呼び起こします。漁業・工業・商業が入り交じる港町八戸の成り立ちの全体像を一目瞭然で理解できれば、自然と個々の名所にも考えが至るでしょう。全体が理解できなければ部分は理解しにくいものですが、この点において八戸は問題を既にクリアしていると言えます。
この長所は、是非とも八戸の発展に活かしたいと思います。しかしながら、この「グレットタワーみなと」、八戸観光ガイドマップという八戸市のメインのパンフレットには、載ってないのです・・・。これはマズイと思う。 八戸という町全体が持つポテンシャルは、漁業や祭事のみでは語り尽くせません。工業という八戸にとっての新興産業や、港町として優秀に機能する地形・地理といった概念を伝えることができれば、単純な観光のみならず、「産業観光(歴史的・文化的に価値ある工場や機械などの産業文化財や産業製品を通じて、ものづくりの心にふれることを目的とした観光)」といった新しいテーマを得ることができますし、ひいては八戸全体が持つ港町としての文化を楽しむ「文化観光」という高みまで手が届くかもしれない、と僕は考えます。
さて、突然ですが、「港」という字は「さんずい」と「巷(ちまた)」から成り立ちます。この場合「さんずい」は当然のように海を表しますが、巷(ちまた)は「道が別れ、広がっていく場所」を意味します。つまり港とは「海から道が別れ、広がっていく場所」という意味なんですね。海の幸に恵まれた八戸という土地は縄文時代から栄え、江戸時代には江戸との物流を、近代には貿易を、戦後は漁業と工業を発達させました。そんな様々な産業を支えるために人々は集まり、暮らし、それぞれの目的に応じた道を地面に記し、やがては町になっていきました。
とてもシンプルな結論ですが、八戸が町になった理由は「様々な産業を支える海に人々が集まったから」なんですね。様々な産業はそれぞれの方法で港と関わりを持ちながら、港町を形作っていったはずです。そんな港町に生まれた僕にとって、八戸は港町として生まれ発展してきたという事実は、決して忘れてはいけない事のように感じられるんです。八戸を盛り上げたいと思うなら、八戸が生まれた理由を理解すべきではないか。八戸に住まう人々の持つエネルギーを一カ所に集めて力を発揮するためには、みんなが最も深い場所で共有している「港町という絆」に光を当てなければならない・・・そんな風に、僕には思われるのです。








