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南部せんべい通信 Archive

'08 10月14日 (火) 08時00分 : 南部せんべい通信Vol.1 美味しんぼと南部せんべいの歴史

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先日からスタートした八戸コーヒー通信に続き、南部せんべいを徹底的に取り上げる「南部せんべい通信」を勝手にスタート! 初回となる今回は、劇的な邂逅・和解で幕を閉じ話題となった「美味しんぼ」と南部せんべいの歴史についてです。

美味しんぼと言えば「究極VS至高」の戦いが有名ですが、後半の71巻から完結102巻までは新たに「日本全県味巡り」と銘打ち、ひとつの都道府県の中で山岡・雄山が味比べをする企画が行われています。その対決において青森県は100巻目(すごいタイミング!)で取り上げられているのですが、その対決のキーのひとつになっているのが、南部せんべいです。

さらには、山岡・雄山が率いる究極・至高のメニューの最終対決(102巻収録)においても、南部せんべいが登場しています。美味しんぼ劇中、究極・至高のメニューのひとつとして登場する南部せんべいを振り返りながら、南部せんべいの歴史まで語ってしまうという不思議な記事になってます。「なんで写真が神社なの?」という方も、是非読み進めていただければと思います。

以下、美味しんぼのネタバレを含みますのでご注意ください。

「日本全県味巡り」における南部せんべい

八戸を訪れた究極のメニュー一行を迎えるのは、南部せんべいの老舗「ザイケ真幸堂」の店主・在家清吾ご夫妻と、せんべい汁の知名度アップに貢献されている八戸せんべい汁研究所の木村聡さん。

紹介されたのは、もちろん素の南部せんべいに加え、せんべい汁と「てんぽ」。てんぽとは、柔らかく半焼けのところで仕上げた南部せんべいのことですね。さらには、様々な南部せんべいの食べ方として・・・

  • 食材を乗せて皿代わりにしながら一緒に食べる
  • 赤飯を挟んで食べる
  • 天ぷらにして食べる

などの様々な食べ方を紹介した上で(先日取り上げた「コーヒーに南部せんべい」はありませんでした)、山岡に『南部せんべいは食生活の一部に、完全になりきっているんですね』と言わしめています。

また、山岡・雄山の対決その場でも南部せんべいは登場し、種差海岸の名店として知らせる洋望荘の佐藤一弘さんがこだわって突き詰められている自然食と南部せんべいが融合した「雑穀でつくったてんぽ」と「てんぽのせんべい汁」が山岡側の締めとして登場します。

うーん、うまそう。食イタイ。

ただし、八戸贔屓の意地悪な目線で美味しんぼを見ると、ちょっと不満な点もあったりします。

山岡側は青森の数々の食文化に触れた結果、日本における文化の西から東への伝搬の果てに存在する「原日本人の食文化を残し守る場所としての青森県」という結論を得ますが、南部せんべいと「原日本人」とのつながりが示されていないんですね。ザックリと「単純な地方色の違いではない、根深いところでの青森県の特異性」に気付く、というシナリオで南部せんべいを取り上げているんですが、「じゃあ南部せんべいのどこが『原日本人』なのよ?」という論拠が薄いように感じられてしまうんです。

美味しんぼはあくまで料理が主役で、料理を矢継ぎ早に取り上げなければならないですから、南部せんべいの由来について情報が足りないのは致し方ないかな、とも思うので、このサイトで補足しまみようと思います。

南部せんべいの発祥

最も詳しく南部せんべいの歴史がまとめられていると思われるのが、先にご紹介した「八戸せんべい汁研究所」内の「上級講座・せんべい汁のウンチク」コーナーです。(Wikipedia「南部煎餅」のページにも情報がまとめられています)

史書の整理と民族学的な調査により、多面的に南部せんべいの歴史を解き明かそうとされていて、非常に興味深い内容になってます。いくつかの説と共に、最も有力な南部せんべい発祥の仮説が紹介されているんですが、これがまた、驚きです。

  1. お腹をすかせた天皇へ差し上げるため、天皇の家臣が、
  2. 農家から分けてもらったそば粉を材料に、
  3. 鉄兜の上で焼いて作った料理である。

これだけ読むと、なんか「とりあえず作ってみました」みたいな感じですね。でも、そのせんべいを気に入った天皇は、煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣・楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許した・・・とまで話を聞くと、ほほぉーと唸ってしまいますね。南部せんべいに入っている模様に、そんな意味があったとは。こんなに由緒正しい食べ物だったとは、知りませんでした。

南北朝から現代まで届いた南部せんべい

さて、上記で南部せんべいの元になった食べ物を気に入った「天皇」とは、南北朝時代・南朝側に生きた第98代天皇である長慶天皇を指しています。

ここで意外な八戸との接点が出てくるのですが・・・八戸でも最も大きな神社のひとつである櫛引八幡宮が所蔵している国宝「赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)」は長慶天皇の御料だと伝えられています。また、櫛引八幡宮に伝えられているもうひとつの国宝(ちなみに甲冑の国宝は日本に18点しか存在しません)である「白糸威褄取鎧(しろいとおどしつまどりよろい)」は、長慶天皇の先代である後村上天皇から根城南部家7代・南部信光が拝領したものであるとのこと。

南部せんべいの歴史を辿って行くと櫛引八幡宮につながり、ひいては八戸の統治の歴史と天皇の関わりが立体的に見えてきました。面白いなぁ。

・・・さて、話題を美味しんぼに戻します。美味しんぼの最終対決では、山岡側メニューの主菜のひとつとして「馬肉のタルタルステーキ乗せ南部せんべい」が登場し、伝統的に馬肉を食べてきた青森県の食文化と南部せんべいが融合した形を提示します。数々の食通が唸ります。南部せんべいが美味の極致のひとつとして受け入れられる様子は、もちろんうれしく思います。

でも、南北朝の混乱の中でお腹を空かせた天皇のために作られた食べ物が、南北朝から戦国時代・江戸時代・近代・現代を − 数々の飢饉や戦争をも − 乗り越えて、この八戸という地に根付き、現代にまで届き、さらにはグルメにまでなっていると考えると、おいしい・うれしい以上に、感慨深いものがありますね。幾多の人がこのせんべいを食べ、守り、伝えてくれたからこそ、今僕の手のひらに南部せんべいがあるのだな、と思うと、白いせんべいの向こうに続く長い長い歴史が透けて見えてくるようです。

今日のまとめ : 南部せんべいは、櫛引八幡宮にも繋がる深い歴史があった!

南部せんべいのおいしい食べ方紹介

ついでに一件だけブログ記事を紹介させて下さい。後日改めて紹介・リンクしたいと思っているスゴイ八戸サイト「たねブロ」さんの「たねブロ流 サバ缶せんべい皿」です。ぎゃーっ! うまそう! 八戸に住んでいた頃は「マーガリン」「水あめ」「ケチャップ」「とろけるチーズ」なんて具合に色々塗ったり乗せたりして食べてましたが、サバ缶は無いなあ。八戸らしいし、おいしそうだし、良いですねー。 こういう記事を読むにつけ、はやく八戸に帰りたいなあ・・・と想いを募らせる私でした。パリポリ。

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