
水玉の核を形成するチリの量だとか、温度だとか風の量とか向きとか...要素は色々ありますが、煎じ詰めて言えば、僕らが雲を眺めるというのは「空中の水滴の分布を見てる」と表現できます。水滴が少ないところは晴れに見えて、水滴が多いところには雲があるように見える。けど、飛行機で雲の中を突っ切るとよくわかりますが、雲の中って単純に視界が悪いだけで、霧の中のようです。
水滴が多いか少ないか、それだけの差で「晴れ空の青」と「雲の白」の違いが生まれます。
でも、繰り返しますけど、青と白...雲の有り無しの差は、あくまで相対的な水滴の量に由来します。どんなに晴れている空にだってどこかには(理論的に)水滴は存在するし、どれだけ厚い雲の中にだってたまたま水滴の無い空間は(理論的に)存在します。つまり、晴れ空という現象も、雲という現象も、中身は結局「水滴を微妙に含んだ空間」である事では共通してる訳です。
そういう視点で見てみると、1つ1つの雲は独立しているようで...実はつながっている、と言えます。僕らの目には「晴れ空の青」と「雲の白」とハッキリ違う色に見えていても、実は水滴の白が濃いか薄いかだけの差なんですから。
でもでも、やっぱり繰り返しますけど、僕らの目には青と白、くっきり違う色のように見えてしまいます。僕らの見ている雲はすべてつながっていると言えるのに、僕らの意識は違う色のように感じるわけです。
...え? いい加減理屈っぽくて聞いてられない?
スイマセン、その通りでございます。とにもかくにも今日の写真は、美しい八戸の海辺の空でございます。何が言いたかったかといいますと、散り散りの雲でも実はつながってるから寂しくないって思いながら写真を眺めると、感じるところがあるかもしれませんよ、ということなんでございます、ハイ。
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