
僕は小さい頃から、期待をコトバとして聞かされた記憶がほとんど無い。家族全員がシャイだったから(当時はそれにも気付かなかった)、期待に含まれている「実現しろよ、良いことしろよ!」という押し付け感を嫌っていたのかもしれない。食べ物の好き嫌いがあっても、靴ひもが結べなくても、クロールで25メートル泳げなくても、叱られたことさえあれど、期待された事が...無い。
これは良いことなのかなあ、よく分からないけれど。
唯一、酔っ払ったイトコのオジサンが、何か頭よさげなことをしたであろう僕に対して「末は博士か大臣かだな、ハハハ」と言ったのだけは憶えている。そもそも博士も大臣もよく分からなかったけど、悪い気分はしなかった。
でも、オトナになって色々な人の話を聞くと、案外「親から期待ばかりされて辛かった」という人が多くて、正直面食らってしまった。そんな人たちの感じたことをシンプルにまとめると、親からの期待が一種のイヤミのように聞こえたそうだ。「お前には出来ない事は分かってるけど、親の体裁があるからとりあえず『いつかは出来る』って言ってるだけさ、フン」なんて具合に解釈してしまうらしい。そのイラ立ちに、乱暴な態度を隠さずに自分の部屋に閉じこもってしまう事があったと、ある知人は言う。そんな記憶があるからこそ、今でも人から期待されるのはイヤだと、と。
うーむ。さすがにこれは、ちょっとさびしい感じもするけれど、受け取り方は人それぞれだから、仕方が無いのかもしれない。
僕は幸いなことに、期待されることをイヤミと感じることも無いし、今も誰かに期待されると、ワクワクしてしまう。僕にとっての期待は予想の一種みたいなもので、人から期待されても「お前には出来る可能性が十分にある」と言われているように聞こえる。期待とは、あたたかい予想のようなものだと感じる。
でも...世間では、期待をネガティブに受け取る人も多いようだ。となれば、これまでの僕はたくさんの人に期待を込めた発言をすることで、音も無しに傷つけてしまっていたのかもしれない。
車窓の夕暮れを眺めながら、そんな事を一人思う。僕がこれまで誰かを傷つけてきたことをすべて把握することは出来ないのと同じように、夕闇に紛れている色をすべて数え上げることができないだろうのに、それでも僕の目は夕闇の中を彷徨う。僕は僕自身に期待している、夕闇の色をすべて知る事は可能かもしれないと。
夕日はあくまでもあたたかいけれど、今にも消え入りそうだ。
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