
八戸を離れながら八戸の写真を毎日更新するブログを運営しているという変則的なワタクシですが、「なんでそんなに八戸が好きなの?」と聞かれると答えに窮します。
だって、生まれた町なんだから、仕方がない。
この「仕方がない」がポイントで、八戸市民の方や八戸に縁がある方には申し訳ないのですが、こんな風に感じている事は事実です。でも、例えば誰かを好きになることに理由がないように、僕の親が八戸で僕を育てたという偶然によって、僕の八戸好きは魂に焼き付けられたように感じているんです。だからこそ、僕個人の考えや行動でどうなるものでもないから、「仕方がない」んですね。
僕が八戸という青森県の片田舎(それでも県内では2番目の都市なんですよ、人口だって24万人もいるんです)で18年間育てられている間に、「八戸センサー」とでも言えるような特殊な能力が僕の心の何処かに備え付けられました。そのセンサーはウミネコの形をしているイメージで、八戸の良さや美しさを発見することを責務としています。そして、何かを感じ取るとミャーミャー鳴いて僕の意識をツツキます。
僕は、内なる八戸センサーに従って、シャッターを切ります。
今日の写真は、まるで何も写っていません。何の変哲もないバスの停留所と、電信柱と、看板と、草原と山並みと空。日本中どこの町にだってありそうな光景です。でも、ウミネコの形をした八戸センサーは、執拗に僕の意識をつついています。
「おい、思い出せ、お前の心の一部が、この風景の中に写り込んでいるはずだ」
とでも、言うように。つまり、八戸センサーの正体は、僕自身なのでしょう。そして、僕は僕自身を撮影したくて、ファインダーを覗き込むのかもしれません。
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