
思想家・吉本隆明は「言葉の幹は沈黙である」と言ったけど、どうにも言葉でうまく伝達や表現ができない時は、案外言葉から離れたほうが良かったりすることが多いです。
例えば気持ちがぐしゃぐしゃしていても、お部屋の掃除をしたらスッキリした・・・なんて事がありますよね。これって無数の理由が絡みあってはじめて「スッキリ」という結果が生まれているんだとは思うんですが、言葉に注目して煎じ詰めれば「言葉を使わずに、人はスッキリできる」と言えるんじゃないでしょうか。
人は、言葉を使わずにでも、スッキリできる。
言葉を使っていると、ついついこの事実を忘れがちになるような気がします。この事実を下敷きにした上で、「言葉を使わなくても良いのに、言葉を使う事自体難しいことなのに、それでも言葉で伝えることは、スゴイことだ」と考えるほうが健全なような気がします。
ちょっとエッチな喩えになってしまうんですが、時々「喧嘩した後、エッチして仲直りするカップルって、どうなのよ? それってちゃんと話し合わないと、ただ問題を先延ばしにするだけなんじゃねーの?」と「喧嘩→エッチ→仲直り」という流れを非難する人がいますけど、その非難の言葉自体は、エッチの効用の爪の先ほども役に立たないわけです。
でも、逆に「喧嘩→エッチ→仲直り」のようなコミュニケーションを続けながらも、時間をかけて言葉を交換していくからこそ響く言葉もあるわけで。
・・・この文章自体も、言葉なわけで。
不思議なものです。
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