
キツイ顔だって言われる、とかわいい子が言っているのを聞くことほど寂しいことはない。なぜなら、僕も割と「俺ってキツイ顔をしてるんじゃないか?」と心配しているから(別に僕はかわいくはないけれど)。
いろんな人に話を聞くと「自分の顔にはどこかキツイところがある」と感じている人はかなりの数いるようなので、みーんな余計な心配をしてるだけかもしれない。そもそも僕らはいろんな感情を持っていて、どんな人にだって「あいつ絶対許さない」から「すべてのものを許したい」まで、バラエティに富んだ虹色の心が収まっている。そんなバラエティさに比べると顔にはバラエティが無いようで、「油断するとすぐ怖い目になってしまう」とか「肉のつき方がどうにもコワイ」とか感じられて、ゲンナリしちゃったりする。
まとめると、一般論的に「顔の表現力は、心のバラエティを下回っているようだ」と言えそうだ。だからこそ「30過ぎたら顔に責任を持て」なんていう謎の格言によって、顔での表現力が社会性を大きく担保していることが暗に示されているのだろう。
真のオトナは、無表情ではイカンのかもしれない。
一方、そんな小難しい話をよそに、八戸公園のアヒルだかガチョウだか分からない謎の鳥は、上の写真のように、言わば仏様みたいな顔をして一日中日向ぼっこしている。僕がカメラを向けても何一つ表情を変えず、視線も微動だにせず...というか、そもそもそこに視線が存在しているのかどうかすら分からないような顔をして、温かさにだけ身をひたしている。見れば見るほどやさしい顔だし、ちょっと見方を変えるとどこまでもおかしい顔にも見える。顔って何だ? という気持ちにすら、なってくる。
顔。多細胞生物が生き抜くための高機能な能力を獲得するために、頭部に集中させた感覚器群。それは遺伝子の内容と受精卵内に形成される特定の化学物質の濃度分布によって形成される。ニンゲンに至っては、そこから表情を読み取り、相手の心を推測し、愛したり憎んだりするようにすらなった。顔自体はただのモノなのに、僕らはそこにココロを見る。
「オマエ、面白い顔してんな」と、同じく面白い顔をした僕は、その白い鳥に言う。鳥は何も言わず、風にかすかに頭を揺らす。僕と白い鳥の体の内側では、遺伝子とココロが僕らの与り知らないところで、僕らには理解できない何かを静かに執り行っている音がしている。そんな気がする。
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