
日本のミュージックシーンで間違いなく異彩を放つバンド「面影ラッキーホール」の楽曲群を読み解くシリーズ第5弾は、アルバム「代理母」から「必ず同じところで」を取り上げます。今回は、ダメな女性のお話です(面影ラッキーホールの曲は、ダメな男性の話かダメな女性の話か、その両方のお話かのどれかですが)。
あらすじ
6分14秒のスローな曲で歌われるあらすじは、以下の通りです。このシリーズを理解してくださっている方にはお断りの必要は無いでしょうが、以下には不適切な表現が含まれますので、お嫌いな方はご退出くださいね。
- 都会の片隅で、ある若い女が半生を思い返している。
- ある男を追いかけて田舎から上京し、その男だけを支えに生きてきたが、ある日『彼は工場を辞めてあたしの嫌いなシゴトを始め』、女性も『同じようにまったく知らない化粧の仕方覚えた』。
- 男は高校の先輩で『あのひとみんなのあこがれだった』が、『さえないあたしは気を飛行と無茶なコトさせられた』。『からかい半分のデートでさえもあたしの胸は高鳴ったし』、『女になった夜は同時に彼の友達にも抱かれた』。
- 『必ず同じところで・・・』
- 男は『一晩に物凄いお金動』すようになり、派手な生活が続き、『あたしも同じようにOLじゃ買えないなりふりを身につけた』。
- 高校の後輩の結婚招待状が届き始めた頃、母親にお見合いをさせられた。『女として人並みな幸福』が頭をよぎる。
- 『必ず同じところで つまづいて・・・』
- 『子供のようなあなた あたしの胸でおやすみ』
- 男は追われる身になり、女は男を立ち直らせようと『無茶なコトさせられた』。『このひと以外との生活に戻れないのは確かだった』。
- 『女としての幸福を買われた男の胸で感じた』。
- 『必ず同じところで つまづいてしまう』
ダメな男に翻弄される、ダメな女。ここまでハッキリと分かりやすい話ではないにせよ、今日も日本中にこんなカップルが無数に存在しているでしょうし、僕もそうなる可能性があった(もしくは、実は今もそうなっている)のでしょう。女はこの男を好きになったばかりに、ガラガラと転落していきます。『必ず同じところでつまづいてしまう』と現状を理解できているのに、『子供のようなあなた あたしの胸でおやすみ』と男を愛することを辞めず、『無茶なコトやらされ』る生活から離れようともしない。僕には直接の経験はありませんが、世の中にはある話なのかもしれないな、と想像しますし、そんな矛盾を抱えたこの女の考えについても特に違和感はありません(むしろ、僕も同様に矛盾を抱えているとすら思います)。
ポイントは1つです。タイトル『必ず同じところで』にも含まれる『同じところ』とは、具体的にどこなのか? という点です。
ミスター正当性の主張
もし世の中に正しい人、ミスター正当性みたいな人がいたとしたら、女に対してこう言うでしょう。
「同じでも何でもない。今からでも現状を理解して男から離れるべきだし、これまでその都度そんな判断はできたはずだ。お前が間違っている。お前は、問題に対処しないからこそ、必ず同じところでつまづくのだ」と。
『同じところ』とは、目の前にあるダメな男性による問題そのものだ、とミスター正当性は言います。そりゃそうでしょう、何せ女はこんなダメな男に近づくために別の男に抱かれるというレイプに近い行為をされ、追い込まれる男のためにカラダを売るという『無茶なコト』まで自らの意に反して行っているわけですから(ただし個人的な考えとして、女性の性的陵辱に対しては敵意すら覚えますが、性産業を差別したり見下したりするつもりは一切ありませんので、申し添えます)。
なぜこんな『無茶なコト』をするのか、何のために女はこんな辛い生活に耐えているのでしょう? 答えはきっと、「男と二人、いつもいっしょにいたい」だけなのでしょう。ミスター正当性は暗に「女自身がシアワセになる方法」を諭すことで暗に男と引き離そうとする一方で、女は男と一緒にシアワセになることを、つまり「男とはなれない方法」を考えているのですから、ミスター正当性の言葉はこの段階で女とすれ違ってしまいます。そもそも女は『必ず同じところで つまづいてしまう』と自らの人生が失敗続きであることを分かってすらいますから、ミスター正当性は残念ながら役不足ですね。
そんな風にして、女は『必ず同じところで』つまづき続ける人生を今日も送っています。そしてその世界は、正当性なんぞ入り込む余地の無い何かが支配する世界のようです。
「二人はいつもいっしょ」というルール
一方で、この歌の構造をカメラを引いてみて、二人の対比構造に注意してみます。
- 男が『みんなのあこがれ』である時、女は『彼の友達にも抱かれる』。また、男が『一晩で物凄いお金動かす』ほどの時、女は『OLじゃ買えないなりふりを身につけた』。
- 女は一人お見合いをして『人並みな幸福』について考えるが、結局何もしない。
- 男が『追われる身』の時、女は売春で金を稼ぎながら『女としての幸福を買われた男の胸で感じた』。
上の3つの例は、こう言い換えられます。
- 男がプラスの価値を持つ時、女はマイナスの価値を持つ。
- 男が居ない(ゼロの価値)時、女もまたゼロの価値を持つ。
- 男がマイナスの価値を持つ時、女はプラスの価値を持つ。

二人の価値の総和は、常にゼロで均衡しているんですね。男と女の価値は常に逆向きで、ベクトルを足し合わせると点(ゼロ)になります。壁を手で押すと、押す力と同じ大きさで逆向きの力で壁が手を押し返す力が働くという『作用反作用の法則」なんて物理で習いましたけど、とても似た状況ですね。そして、この作用反作用の法則には、もう少しだけ続きがあります。
・・・同じ力で押し返されるからこそ、壁も手も動かない。
ゼロで均衡している以上状況は変わらない、だからこそ男と女はずっと一緒にいることができるんですね。逆に言えば、男がどこまで人の道を外れていっても、女がそれに代わる価値を生み出しさえすれば、二人は離れることはないし、恐ろしいことにそれは女が望むことなんですね。こんな状況は、おそらく男がさらに悪い状況に陥って、女が対価を支払えなくなるまで続くでしょう。それは言わば、女にとって社会的な死か身体的な死のいずれかに値することでしょう。ひどい話ですが、それが「二人がいつもいっしょ」の世界におけるルールなのであり、ルールを変えない以上救いが無い世界であると思われます。
この部分だけなら、きっとミスター正当性にも理解できる話じゃないかと思うんです。ルールを変えない以上、救いが無い・・・そりゃ、そうだろう、と。悪い男とくっついてたら、シアワセになれるはずがない。僕も、なんとなくこの論理には同意したくなります。
しかし、そんな考えを、実は面影ラッキーホールはさりげなくも一蹴しています。こんな状況でも、女はシアワセなのだ、と言うのです。
虚数としてのシアワセ
もう一度、冒頭のあらすじを以下に示します。ただし、注目して欲しい部分は色がついた強調部分だけで、他の部分は読んでいただかなくて結構です。
- 都会の片隅で、ある若い女が半生を思い返している。
- ある男を追いかけて田舎から上京し、その男だけを支えに生きてきたが、ある日『彼は工場を辞めてあたしの嫌いなシゴトを始め』、女性も『同じようにまったく知らない化粧の仕方覚えた』。
- 男は高校の先輩で『あのひとみんなのあこがれだった』が、『さえないあたしは気を引こうと無茶なコトさせられた』。『からかい半分のデートでさえもあたしの胸は高鳴ったし』、『女になった夜は同時に彼の友達にも抱かれた』。
- 『必ず同じところで・・・』
- 男は『一晩に物凄いお金動』すようになり、派手な生活が続き、『あたしも同じようにOLじゃ買えないなりふりを身につけた』。
- 高校の後輩の結婚招待状が届き始めた頃、母親にお見合いをさせられた。『女として人並みな幸福』が頭をよぎる。
- 『必ず同じところで つまづいて・・・』
- 『子供のようなあなた あたしの胸でおやすみ』。
- 男は追われる身になり、女は男を立ち直らせようと『無茶なコトさせられた』。『このひと以外との生活に戻れないのは確かだった』。
- 『女としての幸福を買われた男の胸で感じた』。
- 『必ず同じところで つまづいてしまう』
注目すべきは、上記の3箇所の強調した部分です。男の価値がプラスからマイナスへと転落し、自らが価値を生み出して男を養わなければならない状況であっても、女はシアワセを感じている様子が描かれているんですね。・・・ここで、やっと先の問題に対する答えを導き出すことができます。『必ず同じところで』の『同じところ』とは、どこか? の答えは、ここです。
女は、シアワセだからこそ、男から離れない。『同じところ』とは、ふいに訪れるシアワセのことだ。
二人でいる限り、互いの価値は打ち消され、ゼロになることは先に論じました。数直線の右と左に互いの価値は反発して伸びていき、結局いつも足し合わせれば、ゼロ。一方で、そんな価値とはまったく別の軸に、シアワセは訪れます。

左右に伸びた数直線を直角に貫く、もう一本の軸。それは数学では虚数軸と呼ばれます。水平な軸の上の数字は実数(real number)と呼ばれ、垂直な軸の上の数字を虚数(imaginary number)と呼びます。二人の価値とシアワセは、複素数平面と呼ばれるこの図の上では、こんな風に表現できそうです。
虚数とは、英語のimaginary numberの和訳です。imaginary numberを直訳すると、「想像上の数」。本来の数学では「二乗してマイナス1になる数」を指し、そんな数は現実には存在しないことからこその命名がされているわけですが、この言葉は目に見えない「シアワセ」という概念と非常に相性が良さそうです。
『必ず同じところで』における女の体は、男の友達に犯されたり、お金にために見知らぬ男のために犯されています。現実世界における女は、男との関係やお金を産むためにボロボロになっています。そんな状況を見て、ミスター正当性はダメだと言うでしょうが、その忠告は永遠に女には届きません。なぜなら、ミスター正当性の言うことは、すべて実数(価値)に対応したものだからです。物語の中でも、母親からの忠告でお見合いをしたりして、一定の実数(価値)を得て人並みな生活を送ることについて、女は一度考えています。しかし、女は実数ではなく、虚数を選びました。世界に存在して客観視できるお金・安定・社会性という価値ではなく、世界に存在せず正当性の入り込む隙の無いシアワセが支配する世界を選んだんですね。女は、そのシアワセの条件として「二人でずっといっしょにいること」というルールを定めました。そこでは熾烈なゼロサムゲームによって自らの価値が搾取されることも、女はわかっていました。最後は『女としての幸福を買われた男の胸で感じ』るという転倒した状況にすらなったとしても、女の世界はルールを変えない。
女がつまづいていたものの正体とは、シアワセだったのです。
だからこそ、ほら、僕はこの文章の頭から最後まで、「不幸な女性」とは、書けなかったんです。
あとがき1
写真は、八戸のある場所で撮影した女性の後ろ姿です。とても美しい人でした。誰かが迎えに来るのを待っているのか、寒い中をずっと立って待っていたようです(一度撮影して戻ってきても、まだいましたから)。近くにはバスの待合室もあるのに、どうして彼女は外で待っていたのか? その理由は、上の話の同じようなところにあるのかな、と思ったりもします。
当然のように、この女性はこの物語との関連性は一切ないことを、最後にお断りしておきます。
あとがき2
数学における複素数平面では、点を「回転」させることができます。様々な数の組み合わせ(それは行列と名づけられています)を掛け合わせることで、実数と虚数の組である点が回転したり、ゼロから遠く離れたり近づいたりします。ただし、実数も虚数もゼロである場合だけ、点はどんな行列を掛け合わせても、変化しません。永遠に、完全に、ゼロであり続けます。
行列によって、僕が持っている「目に見える価値と目に見えないシアワセ」が、回っていく。でも、僕が完全にゼロになってしまったら、もうどうしようもない。・・・言葉の上の遊びではありますが、この喩えも、また、味わいがあるように感じます。
次回は、再びダメな女性が登場しますが、状況は今回よりももっとタフです。『夜のみずたまり』、『必ず同じところで』と同じアルバム「代理母」からの楽曲です。本当名盤です、このアルバム・・・では、ご期待下さい。
- Newer: 「占いは信じてないんだ。」
- Older: 小説・木村友祐『海猫ツリーハウス』




