Home > コラム > You Are The World:過去の先っぽの現在に立つ人たちへ

'09 06月29日 (月) 06時06分 : You Are The World:過去の先っぽの現在に立つ人たちへ

suiheisurawasuretakutiyukubasyo.jpg

先日の記事で触れたニコニコ動画の「We Are The World」人気についてですが、なんと依然としてニコニコ動画のランキングで1位になっています。大抵は1日程度で下位に落ちていくのが定めのランキングにおいて、継続して人気を保ち続けているのは・・・やはり何かありそうです。ちょっと考えた事を、書いてみます。

最高の音楽はどこにあるか

とある有名な音楽家が言った名言に、こんなものがあります。

最高の音楽は、未来にある。

生涯を音楽に捧げた一人の人間が晩年に語ったこの言葉は、希望や可能性に満ちた福音のように響きます。一方で、この言葉の裏側には「過去や現在には最高の音楽は無いのか?」という指摘が含まれていることに思い当たります。もちろんこの音楽家は、そんな否定的なことは言っていないんですね。過去の蓄積として、今の時代には素晴らしい音楽が溢れている。けれど、それよりももっと良い音楽が未来にはあるんだよ・・・と言っている訳です。

さらに言えば、この音楽家は「最高の音楽は未来にある」という過激な表現によって、逆説的に「過去の音楽はどれほど素晴らしいものであったか」を言わんとしているのかもしれないとすら思います。素晴らしい名曲の数々を聞きながら育ったことを、この音楽家は分かっているのでしょう。それらの楽曲に励まされ、心を温められ、感動した記憶こそが、彼の生きる原動力になったはずです。

図書館に出かけて分厚い本を繰らなければ過去について知り得なかった時代から比べると、今はワンクリックで過去と出会うことができる時代です。過去に生み出された芸術の数々が、電子化されインターネットを飛び回っています。どんな時代に作られたものも、等しくワンクリックで見られるわけですから、人類は歴史上最も過去に近づいているとすら言えますし、人類は歴史上最も過去を大切にできるチャンスを掴んでいるとも解釈できるでしょう。今、過去を正当に評価することが出来たなら、未来に対しての視座も明るいものになるように思うんです。

左翼的でネガティブなマスコミに「今は不況だ」「政治は最悪だ」「若者は出来が悪い」と揶揄され、上の世代から抑圧されているように見える若い世代の人が「We Are The World」のようなユートピア的世界観に対して心のフックを掴まれているのには、「この世界は良いものなのか?」という根源的な疑問が背景にあるように思うんです。

過去の知恵に気付けるか

例えば、将棋の世界に「大山康晴」という人物がいます。既に逝去されていますが、十五世名人として画期的な記録を打ち立てた伝説とも言える人物です。この人が残した名言に、こんなものがあります。一見すると「ん?」と思うかもしれませんが・・・

助からないと思っても、助かっている。

普通なら「助からないと思っても、助かる場合もある」とか「助からないと思っても、頑張るしかない」と言いたくなるところですが、大山康晴は「助かっている」と断じます。シンプルな駒の動きが密接に絡み合うことで無限の可能性を見せる将棋盤の上で、大山康晴は度々考えたのでしょう。「これまでいくつの助かる可能性に気づかずに、負けてきたのか」と。そして最後にたどり着いた言葉が「助かっている」だった・・・そう考えると、この言葉の一見矛盾した過度な表現も受け止めることができるかもしれません。

彼の美麗な駒さばき・・・特に相手の攻撃に対して防御する「受け」と呼ばれる場面はもはや芸術だとも表現されます。それは「大山の受け」として現在も将棋を愛する人であれば一度は見聞きしたことがあると言われています。

そんな「大山の受け」を見聞きし学びながら、ひとつの事実に改めて突き当たった時、僕は過去と現在の関係について改めて考え込むことになります。大山康晴は、今よりも不便で知識の集積も進んでいない過去という時代の中で、これほどの知恵を持っていたのだ。ともすれば僕は「最高の知恵は現在にある」と思いこみがちだけど、それは誤りだ。

今は様々なテクノロジーがあるし、これまでの僕だって一生懸命物事を考えてきたのだから、今自分が考えていることがベストだと思いこんでしまうことがあります。体力こそ年を取れば衰えますが、頭の中は「今が一生の中で一番頭がイイ!」と勘違いしてしまうことがあります。言葉にすれば当たり前の話ですが、僕たち人間の頭脳の能力が常に右肩上がりで上がり続けることは、決して保証されていません。同じように、過去に生きた人間が僕たちよりも劣っているなんてことは、決して言い切れません。

遠い過去において、技術の進歩がゆっくりだった時代には、生まれた頃の暮らしぶりが死ぬまで同じように続くことが多々あったと思います。現在は日進月歩で技術が発達して、去年と今年でも暮らしぶりが変わってしまうことが当たり前となりましたが、それは近年に生きる人類だけが経験していることだと言い切っても良いでしょう。

「現在は過去よりも良いものだ」という表現はある一面では正しいのだけれど、この言葉が言い忘れている「でも、過去だってスゴイぞ」という認識をちゃーんと持たないと、うっかり「助からないと思っている」状態で「助かっている」ことに気付けない・・・なんていう事になるんじゃないかしら? と思うんですね。この点を忘れてしまうと、世界は過去から未来へ向けて右肩上がりで良くなり続けるはずだと間違った前提を置いた上で、そうなっていない現在を批判してしまうになりかねません。それこそが、現在のマスコミやら年老いた世代が犯してしまっている過ちではないかとすら、僕には思われるんです。

You Are The World

さて、話を「We Are The World」に戻します。現代に生きる人、とりわけ若い世代の人に対してこの曲が受けている事について考えると、思い当たる事例が1つあります。「笑う犬の生活」という10年以上前のテレビ番組内の企画から生まれた曲「YATTA!」という楽曲が、同じようにニコニコ動画内でブームになった点です。

この曲の歌詞を引いてみます。一番から二番にかけての部分的な引用です。

ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 大学合格
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 社長就任

葉っぱ一枚あればいい 生きているからラッキーだ

ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 当選確実
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 日本代表

やんなるくらい健康だ everybody say "ヤッター!!"

日本キューキュー でも! 明日はワンダホー

いじわるされてもふとん入れば
グー グー グー グー パス パス パス パス

おはよーーー!!

ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 9時間睡眠
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 寝起きでジャンプ

どんないいことあるだろう
生きていたからLUCKYだ!

ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 君が変われば
ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ!ヤッタ! 世界も変わる

丸腰だから最強だ
まっすぐ立ったら 気持ちぃーーー!!

いい歌詞だなぁ(笑)。『やんなるくらい健康だ』なんて歌詞、酸いも甘いも知っている人じゃなきゃ書けないいぶし銀の歌詞だよなぁー。しみじみ。・・・さて。全裸で股間に葉っぱ一枚という姿の男6人が踊りながら歌うこの歌の中は「良識あるオトナ」なら眉をひそめるかもしれませんが、その中で歌われるものは希望に満ち、『君が変われば 世界も変わる』と説いています。世界のせいにするのではなく、君が変わりなさい、と。大山康晴の「助からないと思っても、助かっている」という言葉と同じように、世界ではなく君が世界を見る目こそが本質だと告げています。

人生において、決定的に「世界の見方」が変わる瞬間があります。子供は世界を善し悪しではなくあるがままに見ます。シンプルに「ああ、世界はこうなっているのか」と理解するためだけに世界を見渡し、楽しそうなもののある方へ躊躇無く自らの足で走り出すんですね。でもオトナになると、どうしてもそういう見方が出来なくなりますね。「世界はこういう部分がダメだ」と思い、善し悪しを判別しながら注意深く歩く。

We Are The Worldのサビは、こう歌っています。

We Are The World
We Are The Children

私たちこそが世界であり、私たちこそが子供である。ここでの「子供」はキリスト教的な世界観に裏打ちされた「神の子」としての意味が第一義にありますが、もう一つの意味として「素直に世界を見ることができる子供」という解釈があるように思うんですね。

ただ水が流れる様子や毛虫が葉っぱを這う様子を興味深く眺める子供のように素直に世界を眺めよう、そこに飢えた人がいるなら、子供はパンを分けてあげるじゃないか。そんな素直な行動を私が自然に行えるようになった時、世界は変わっているだろう。私たちの行動こそが世界を作り上げる、一見するとヒドイ世界に見えるかもしれないけれど、私たちこそが世界を作り、世界そのものですらあるのだ。

そう歌っているように、僕には思えます。今、若い世代の人たちが求めているものは、こういった肯定的な世界観であり、抑圧されている中で「この世界は良いものなのか?」と訝る若者に対して「お前こそが世界だ」と言い切る年老いた世代からの一言こそが求められているように、僕は思います。今あるものには、すべて過去があります。僕らの目の前にあるのは、すべてが過去の集積です。その過去=世界を肯定し、素直に受け入れることこそが、未来に希望を持つ最初の一歩となる。世界の肯定こそが、過去の先っぽの不安定な「現在」というところに立っている僕たちの責務であり、希望の発露ではないだろうか?

We Are The World が照らし出し、若者の心にあたたかな光を当てているのは、We という言葉が「You and I = 私とあなた」を示す事から導き出される必然的な結論としての、次の一言ではないでしょうか。

YOU Are The World.

Comments:2

Comment Form

コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。


画像の中に見える文字を入力してください。

shouske0 2009年7月 3日 17:01

私も何時もそう思ってブログを書いています。
人は傍観者などではなくて、主体であり、脚本家であり、主演者である、と。
世の中がつまらないと嘆くことは、自身の主体性に気がつかないことと同じなのでしょう。
つまらない世の中が問題なのではなく、それを受け入れて変えようとしないスタンスが自身の不幸を育てている大本の問題なのだと。

「世界を作っているのは自分」
そう考えたら世の中は180度違ってくると思います。

from8.org管理人 2009年7月12日 17:54

>shouske0さん

コメントありがとうございます!
(お返事遅れてごめんなさい)

おお、同じように考えてるんですね、うれしいです!
「自分一人じゃ世の中なんて変えられないしな」っていう悲観的な視点から見ても、
「自分の考えようで、世の中の見え方は変わるかも?」っていう楽観的な視点から見ても、
結局は「世界を作ってるのは自分」になると思うんですよね。

だからこそ、マスコミに「世の中は悪いぜ」論調にはウンザリなんです。
でも、そこも見方を変えて「どうしてこういう論調を採るのか?」と考えながら
マスコミさんの行動を分析してみると、案外自分の欠点と同じようなものを
抱えてたりして? と思えてきたりして、面白かったりもします。
みんないっしょなんだろうなー、って。

Trackbacks:0

TrackBack URL for this entry
http://from8.org/diary/mt/mt-tb.cgi/244
Listed below are links to weblogs that reference
You Are The World:過去の先っぽの現在に立つ人たちへ from dairy : 八戸から

Home > コラム > You Are The World:過去の先っぽの現在に立つ人たちへ

diary:八戸から:メニュー

Search
Feeds
Blog Portal
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセス解析