
汚い話で申し訳ないんですけども・・・和式便器で大きいほうをする時、ズボンをどれだけ下げるかっていう話なんです。
和式便器でしゃがんで用を足す時、ズボンは「ももの辺り」まで下げます。オシリが出たら十分という程度にズボンとパンツを下げて、膝は自由に開くようにしておきますよね。そのままどっしりと腰を下ろすから、M字開脚と言うかヤンキー座りというか・・・まあ、いわゆる「ウンコ座り」になるわけです。
でも、それを教えてもらえなかったんですよねー、僕。上に書いたような「良いズボンの下ろし方」を自分で見つけるのが中学生ですから、小学生まではずーっと不便なズボンの下ろし方をしていた訳です。その下ろし方とは、スネまで全部グイッと下ろす。なんというか、おしりからズボンを出来る限り離した方が良いんじゃないかなーと思ったので、出来る限りズボンを下ろしていました、当時の僕は。
グイッと下ろすといっても、足首まで下ろしたら洋式便器をまたげませんから、当然スネ辺りまでしか下ろせません。となると、膝の自由が効かなくなるわけで・・・ウンコ座りを内股にしたような座り方になるんです。コレ、やってみるとよく分かっていただけると思うんですが、足の内側に尋常ではない負担がかかる非常に窮屈な座り方なんですね。
当時の実家のトイレは所謂ボットン便所、夏場などは特にアンモニアのキツイ臭気が上がってくるし、足の内側は痛くなるし(時には足の負担を軽くするためにカカトを浮かせてプルプルふるえながらしゃがんでいたりもしました)、それはもう毎日イヤな思いをしながら用を足してたんです。当時から便通は悪くは無かったのですが、何せそんな窮屈な座り方をしてたので、用を足すのが大嫌いな僕でした。
太宰治は人間失格の中で、駅で線路を挟んだホームを繋ぐ高架橋を「線路を行き来する電車を高いところから眺めるために作られたもの」だと勘違いしていた、と独白調に語っています。本来はただ単に線路を跨ぐためだけに橋を造っているんですが、太宰はそんな実用的な理由を思いつかず「高いところから電車が見られてうれしいなぁ」とバカな事しか思いつけなかった自分を恥じているわけですが・・・それで人間失格なら、僕なんかもうほ乳類失格というか、動物失格というか、それぐらいのバカさ加減ではないかと。
今日の写真は、うみねこの雛です。可愛い顔やフワフワした姿の割に、妙に足がたくましくて面白いですよね。彼らうみねこは飛びながらでも立ちながらでも自由に排便できるのが便利そうで、いい年になってもそんな思いを抱いてしまう僕を見ていただければ、どれほど当時の無知な僕をコンプレックスに観じているかが分かっていただけるかと思います(涙)
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