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'09 06月12日 (金) 07時07分 : ズルしたい、ズルしたい、ズルしたい

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これから新幹線に乗るんですけど、長距離移動のお供には何と言ってもゲームです。僕はDSかiPhoneでパズルゲームをやりながら長い待ち時間をやりすごすのが一番楽で、2・3時間程度ならあっという間に経ってしまいます。

ところで、パズルゲームの面白さって何でしょう? 大抵の人は「そりゃールールが面白くて、頭を使う心地よさがあって、クリアする達成感があるからでしょ?」と答えると思うんですけど・・・もうひとつ、面白さがあるように思うんです。しかもこれこそ、パズルゲームのキモと言える。

それは、ズルをすること

例えばピクロスというパズルゲームの場合、碁盤の目の端に書かれている数字から論理的に演繹して一定の規則で碁盤の目を塗りつぶすことによって、最終的には一枚の絵が完成します。数字の規則を事細かに神経質的に見ていかなければならないんですけど、でもやってる途中で「もしかしてこの問題、完成したら『三日月とうさぎ』の絵になりそうだよな・・・ということは、ここはきっと塗りつぶされないような気がする・・・」という風に、単純に数字のパズルではなく「絵から推測して、勘で塗りつぶす」ことが出来るわけです。

で、ピクロスを遊んでいる僕は、数字のパズルに汗をかいて取り組みながらも心のどこかで「絵はきっと『三輪車』だから、ここは数字を考えなくても塗りつぶせるはずなんだけどな・・・」とズルしようと常に企んでいます。性格が悪いようですが・・・案外みんなそう思いながら遊んでいるんじゃないかしら? と思っていたりもするんです。

ズルできる可能性があること。パズルの本筋の部分を無視する背徳的な楽しさ。これが、パズルゲームに欠けてはならないキモだと思うんですよね。むしろ、遊びの本質だと言っても良いと思う。世の中に充満している正しさや常識を無視して、ズルして得できるんじゃないか? という鼻薬を前にして、フラフラと歩み出てしまうのは人の性というものでしょう。そんな抗いがたい背徳的な魅力と綱引きしながら、最終的にゲームをクリアした時のカタルシスは、「こんがらがったパズルに解答を出した」ことと、「自分のズルしたい心に打ち勝った」ことの両方のヨロコビがあるんですね。ズルしたいという気持ちの霧の中に半強制的に放り込まれて、やがて克服する。それが1人で手軽に出来ちゃうのが、世の中からパズルゲームが無くならない理由ではないかと思うんです。

というわけで、ちょっとズルして来ようと思います、新幹線で。どこに向かうかは、また別のお話。

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