
生命保険、っていう言葉は、よく考えるとスゴイ。「生命」の「保険」。死ぬことの保険を、お金で行う。
たとえばゲームの世界では、死んだら教会やら病院やらに行って「生き返らせてもらう」のにお金を払います。死んだら損、というのが世界の価値になっていて、かつそれはお金で代償できるものとされているんですね。さらには、もしそんな親切な「生き返し屋」がいなくても、ゲームには「コンティニュー(continue、『続ける』の意)」という選択肢があって、死んでしまってもすぐさまゲームをやり直すことができるように設計されている場合が多いです。死んでもなんとかなる、というのがゲームの中の価値観となっています。
一方で、生命保険というのは、ゲームの世界で例えれば「キャラクターが死んだらお金がもらえる」というものになります。もしそんなシステムがゲームの世界にあったら、僕を含めたプレイヤーは喜んでキャラクターを殺すでしょう、そのほうがお金稼ぎが楽だろうから。でもこれって、ゲームの設計者から見ると大問題です。本来なら「努力してお金をコツコツ貯めながら、命を大事に冒険してほしい」と設計者は思ってますから、そんなにホイホイ死んで保険金をせしめられては、もう台無しになってしまいます。しかしながら、だからといって「キャラクターは2度と生き返らない」とすると、ゲームを最後まで進めるのが途端に困難になります。キャラクターの命より、「プレイヤーが最後までゲームを進めて楽しんでくれること」のほうが大事なんですね。・・・だから、ゲームを最後まで進めるまではいくつでも命を使って欲しいゲーム設計者は、生命保険のシステムをゲームの中に組み込むことはできないことになります。
まとめると、こういう事です。
- ゲームの中 : 命がいくつもある→生命保険業者は成り立たない
- 現実 : 命は1個しかない→生命保険業者が成り立つ
というわけで、この世界に生命保険業者がいるということは、「命は1個しかない」ことの証明になっている、と言えるわけです。
なるほど。命は1個しかないのか。あらためて言葉にしてみると陳腐なところもあるけど、「最近の子供の死生観の悪さはゲームのせいかも?」と論じるこんな記事やこんな記事を見ると妙にゲームが悪者にされているようなので、ゲームを例えにして「命は1個しかない」ことを証明してみようと思ったら、こんな記事になった次第です。
死生観でも少年犯罪でも性犯罪でも、なんでもかんでも悪いことはゲームに押しつけよう! みたいな洞察力・想像力の無いオトナに育てられたら、そりゃ子供もおかしくなりますって、常識的に考えて。おもちゃまで悪者にさせられて肩身が狭かろう子供がかわいそうじゃないか、と思う。
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