
昨日の日記で、僕はこう書きました。
人生に対する後悔・・・それは、人なら誰でも思う「人生の本質」のひとつでしょう。
割とサラッと書いてしまった一文ではあったんですが、書いた後で「そうだよなぁ」と思うことが多くて、気になってしまったんです。そのうち、とある2ちゃんねるのコピペのことを強烈に思い出し、急いで探しました。
そして見つかったのが、以下のコピペ。やはり名文であるらしく、あちこちのサイトに掲載されていますが、今日は普段からお世話になっている「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd」さんを参照させていただいています。
死ぬまでにもう一度やってみたいこと
俺、死ぬ前に小学生の頃を一日でいいから、またやってみたい
わいわい授業受けて、体育で外で遊んで、学校終わったら夕方までまた遊ぶんだ
空き地に夕焼け、金木犀の香りの中家に帰ると、家族が「おかえり〜」と迎えてくれて
TV見ながら談笑して、お母さんが晩御飯作ってくれる(ホントありがたいよな)
お風呂に入って上がったらみんな映画に夢中になってて、
子供なのにさもわかってるように見入ってみたり
でも、全部見終える前に眠くなって、お部屋に戻って布団に入る
みんなのいる部屋の光が名残惜しいけど、そのうち意識がなくなって...
そしてそのまま死にたい
なんという懐かしさでしょう! 育まれ、守られていた記憶はかくも切なく、人の胸をがっちりと掴みます。さらには、なんという後悔の大きさでしょうか。失ったものは、これほどに大きい。決して意識して「今はシアワセだ」と深く理解できなかった子供の頃を思い出す今になると、大人たちが僕を見守っていた時の気持ちも何となく推測されます。
「子供でいることは大変だろうけど、でも・・・うらやましいよ」
もしかしたら、大人たちはそう思っていたのかもしれません。これまで読んだ文学やら、見た映画やら・・・そんな先人が書いた物語を知ると、この気持ちに一度囚われてしまったら一生この気持ちのままらしいですね。つまり、これから僕は一生、過去を悔いつつも「懐かしいな」と思いながら生きていくことになるわけです。もしかしたら、あなたも。
当サイトの写真は90%以上は僕の故郷八戸で撮影したものですから、僕に近い世代の人にとっては懐古の対象になるでしょう。もしあなたが既に人生を懐かしむフェイズに入っていたとしたら・・・一緒に懐かしみながら、良い思い出を思い出しながら、日々を過ごしていけたら良いな・・・と思います。どうせ死ぬ時には、何故か知らないけど走馬燈が見えるらしいじゃないですか。アレ、楽しみにしときましょうよ。上に引用した文章では最後「死にたい」という言葉で結ばれているけど、ひとまず、それは置いといて。
でも、上に引用した名文や、僕が今こうして書いている日記がインターネットの莫大な記憶の中に残っていくことは救いです。少しずつでもこの世の中が楽しいものになって、未来に住む人たちが楽しい人生を暮らしてくれれば良いなあ、とも思います。インターネットは個々の想いをつぶさに記録した巨大な民俗学データベースになっていて、その本質のひとつは「懐かしさ」であり、後世に「人生とは素晴らしいものだ」というポジティブな想いを伝える機能を持っている・・・そう思いながらインターネットを眺めると、これまでとは違った価値が見えてきます。
人々の生の想いが書き込まれているからこそ、インターネットって、実は懐かしいものでもあるように、思うんです。
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