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'09 01月11日 (日) 05時05分 : 服の丈、そして親心

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社会人になって、帰省するお金ぐらいは自分で出せるようになって、大学入学から社会人数年目ぐらいまでの穴を埋めるように八戸に戻るようにしている僕ですが、冬の八戸を歩く度に思ったことのひとつに「最近の子供はオシャレだなぁ」ということがあります。外で遊んでいる子供は昔ながらの格好をしていますが、街中を歩く子、家族で買い物をしてる子、外食に食べに来ている子・・・みんなオシャレだと思います。子供の頃の自分だったら、すぐさま親に「あの子みたいな服買って!」と駄々をこねるんじゃなかろうかというぐらい、オシャレになったなって感じます。

そして、そんなオシャレな子供たちを見ながら、これから書くことに気づいていなかった頃の僕は、少しだけ寂しい気持ちになっていました。

僕が子供の頃、服は全部ブカブカだった

僕が子供の頃は、大抵の子供は体が大きくなっても着れるようなブカブカの外套(がいとう)を着させられていました。最近の人は外套とは言わないかもしれないけど、この辺りはご容赦下さい。さらに言えば、汚い話ですけど、袖口に鼻水がついてるようなヤツもけっこういましたし、家族が働いている工場の作業着みたいなのを着てるヤツもいたし、手袋代わりに軍手をしてるヤツもいました。そんな時代だったんですね。

そんな子供の頃、僕は「ぶかぶかの服」が子供っぽくてブサイクだと感じられて大嫌いだったので、不平こそ親には言いませんでしたが(この辺が貧乏に慣れている子供の達観した感じが出てますね)、心の奥の方で「どうしてこんな格好悪いものを着なくちゃいけないんだろう」って不満がっていました。特に祖母は、とびっきり大きなサイズの服を買ってくるので、顔は笑いながらも心ではウンザリ・・・ということもよくありました。

つまり、祖母が大きな丈の服を僕に着せることは「服にかかるお金を節約するための実益的・経済的な方針によるものだ」とばかり思っていたんです。大きな丈の服を着せてくれる祖母を、内心では批判し、良くは思っていなかったわけです。

ところが先日、とあるテレビを見ている時に、戦後まもなくの子供たちの様子が映し出されたとき、僕の認識は間違っていたのではないか? と焦りにも似た自己批判の思いがふいに沸き上がったんです。戦後まもなくの頃の子供たちは、みんな丈が小さな服を着ていたんです。食べるのも大変な戦後の頃、親は何とか服をかきあつめて子供たちに長い間着させたのでしょう、服は子供たちの成長についていけず、子供たちは袖や胴が短いピチピチの服を頑張って着ていたのでした。

ウチのばあちゃんが丈の大きな服を僕に選んでいたのは、単純に経済的な理由ではなく、戦後の貧乏な頃に小さな丈の服しか子供に着せてあげられなかったことへの反動としての「大きな丈の服を着せてあげる」という愛情表現だったのではないか? だとしたら、僕は何と狭量な理解をしていたのだろう、どうして祖母の「親心」を推し量ってあげられなかったんだろう? 

時代に合わせて、親心に合わせて、子供の服の丈は変わる

・・・もちろん、あの頃の祖母の本心は今になっては分かりませんし、もしかしたら単純に経済的な理由だけだったのかもしれないんですけども、仮にでも上記のように考えると「大きな丈の服ばかり着させられていた子供の頃の僕」が報われるような思いを覚えます。

そして、ピッタリの丈のオシャレな服を着ている子供たちを見ても「おお、ご家族からしっかりと愛されてるな、良かった」と、ほっこりした気持ちになれます。

もし祖母が「小さな服はみすぼらしいから」と親心でブカブカの服を買ってくれていたのだとしたら、僕が子供の頃は「大きな服を着せるのが親心」という考えが存在したということになります。一方で現代は、「子供にピッタリな丈の服を着せるのが親心」という考えがありそうです。

時代の流れによって、子供の服の丈は変わるけれど、親心だけは変わっていない。そんなことを考えながら僕はマフラーを絞って、丈がピッタリの服を着た子供たちとすれ違ったのでした。

今日の写真

今日の写真は、島守盆地の取材の時に撮影してあった、収穫もされずに立ちつくしていた柿の木です。蜜にその身を浸したものすごい数の柿が山中でただ寒風に吹き付けられているこのような光景を、子供の頃の僕は鬼ごっこや隠れんぼの最中によく見たものでした。そんな時、面倒で手袋を使っていなかった僕の手を温めていたのは、祖母が買ってくれたブカブカの外套の袖だったことを、今この文章を書きながら思い出しました。

Comments:4

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mymiso 2009年1月11日 17:51

“ゆっくりのんびりできなかった(居心地が悪かった)でしょうね、家なのに” 
が正解です(笑

そうですね~・・ブカブカの服を着てましたよ。すぐおがるから、と。
(おがる=成長する、大きくなる)
そして兄のおさがりをよく着てました!女の子なのに!!
黒や青は当たり前でしたよ^^; 自転車も仮面ライダーの黒色が最初にのったヤツですもん^^;
ソリも青、長靴も青でした。

でも、小学校入学式の写真を見ると、ピッタリサイズのピンクのワンピースを着てました。
普段は節約・倹約、大舞台にはドーンっと・・ですかね?笑

from8.org管理人 2009年1月12日 16:26

>mymisoさん

>あんずましぐねしたびょんさぁ・・・せっかぐのえだのにのぉ・・・
>“ゆっくりのんびりできなかった(居心地が悪かった)でしょうね、家なのに” 

そうかー、なるほど!なんとなくの雰囲気は分かったんですけど、特に「え」が
分からなかったなぁ・・ひと文字言葉は青森県民は分かってしかるべきなのになあ、
うーむ、残念。

だーこたらのもわがねんだば、青森県民失格だもな!

>そして兄のおさがりをよく着てました!女の子なのに!!

僕も従兄弟の女性の服のお下がりを着てた事がありました。
東京の従兄弟が送ってくれたお下がりの服で、
「東京で買ったんだから上等なモノに違いない」みたいな
訳の分からない理屈で着せられてました。
ピンクとか女の子っぽい色ではないトレーナーなんかだったので、
ギリギリバレませんでしたけど、内心ドキドキです。

>普段は節約・倹約、大舞台にはドーンっと・・ですかね?笑

そうですよねー! すごくよく分かります。
こうやって改めて考えてみると、昔の人は貧乏なりに生活にメリハリを
付けて、家族を豊かに養っていた事に気づかされます。
最近はマスコミが官製不況だの何だの騒ぎ立てているけど、
昔だって日本人は貧乏だったような気がするんだけどなあ。
気の持ちようじゃないかしら、という気がします。

kitaguni 2009年1月13日 00:36

ホロっとする日記ですね。。。
私もブカブカの服を着させられました。
思い出すのは小学入学式用のワンピースを母が買って来てくれた時のこと。
母がしつらえたのは丁度ピッタリの服。
それに父が文句言って口論。。。
聞いてる私はどっちにも愛情を感じて居ながら少し不安になった事。。。
あの服はどうなったのか?┗|*`0´*|┛ワッハッハ!!
その後、中学の制服のセーラー服。
サラリーマンしながら紳士服の仕立てを内職にしていた父が仕立てて呉れたんです。
それが・・・戦前の海軍服のようにウエストがピッタリのピチピチ!
今度は母が父に文句。。。
父にしたらセーラー服はそういうものだったのでしょう!
母に言われてア頭を掻いてた父を思い出します。
それ以後、洋服の仕立てをして呉れなくなった父でした。

from8.org管理人 2009年1月14日 01:24

>kitaguniさん

いやー・・・泣けますなぁ(涙)
kitaguniさんのコメントで、ばあちゃんが自分で縫っていた
紺色に小さな白い花がちりばめられた生地のワンピースを
思い出しました。もちろん僕向けではないのですが、
ばあちゃんが抜き差し縫っているのをコタツに当たりながら
隣で見ていた土曜日の午後(半ドンだから帰りが早かった)の
記憶がよみがえってきました。うわー、たまらんです、もう(笑)

素敵なご両親ですね、なんかもう、心が洗われましたー。すーっと。
コメント、本当にありがとうございましたーっ!

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