
社会人になって、帰省するお金ぐらいは自分で出せるようになって、大学入学から社会人数年目ぐらいまでの穴を埋めるように八戸に戻るようにしている僕ですが、冬の八戸を歩く度に思ったことのひとつに「最近の子供はオシャレだなぁ」ということがあります。外で遊んでいる子供は昔ながらの格好をしていますが、街中を歩く子、家族で買い物をしてる子、外食に食べに来ている子・・・みんなオシャレだと思います。子供の頃の自分だったら、すぐさま親に「あの子みたいな服買って!」と駄々をこねるんじゃなかろうかというぐらい、オシャレになったなって感じます。
そして、そんなオシャレな子供たちを見ながら、これから書くことに気づいていなかった頃の僕は、少しだけ寂しい気持ちになっていました。
僕が子供の頃、服は全部ブカブカだった
僕が子供の頃は、大抵の子供は体が大きくなっても着れるようなブカブカの外套(がいとう)を着させられていました。最近の人は外套とは言わないかもしれないけど、この辺りはご容赦下さい。さらに言えば、汚い話ですけど、袖口に鼻水がついてるようなヤツもけっこういましたし、家族が働いている工場の作業着みたいなのを着てるヤツもいたし、手袋代わりに軍手をしてるヤツもいました。そんな時代だったんですね。
そんな子供の頃、僕は「ぶかぶかの服」が子供っぽくてブサイクだと感じられて大嫌いだったので、不平こそ親には言いませんでしたが(この辺が貧乏に慣れている子供の達観した感じが出てますね)、心の奥の方で「どうしてこんな格好悪いものを着なくちゃいけないんだろう」って不満がっていました。特に祖母は、とびっきり大きなサイズの服を買ってくるので、顔は笑いながらも心ではウンザリ・・・ということもよくありました。
つまり、祖母が大きな丈の服を僕に着せることは「服にかかるお金を節約するための実益的・経済的な方針によるものだ」とばかり思っていたんです。大きな丈の服を着せてくれる祖母を、内心では批判し、良くは思っていなかったわけです。
ところが先日、とあるテレビを見ている時に、戦後まもなくの子供たちの様子が映し出されたとき、僕の認識は間違っていたのではないか? と焦りにも似た自己批判の思いがふいに沸き上がったんです。戦後まもなくの頃の子供たちは、みんな丈が小さな服を着ていたんです。食べるのも大変な戦後の頃、親は何とか服をかきあつめて子供たちに長い間着させたのでしょう、服は子供たちの成長についていけず、子供たちは袖や胴が短いピチピチの服を頑張って着ていたのでした。
ウチのばあちゃんが丈の大きな服を僕に選んでいたのは、単純に経済的な理由ではなく、戦後の貧乏な頃に小さな丈の服しか子供に着せてあげられなかったことへの反動としての「大きな丈の服を着せてあげる」という愛情表現だったのではないか? だとしたら、僕は何と狭量な理解をしていたのだろう、どうして祖母の「親心」を推し量ってあげられなかったんだろう?
時代に合わせて、親心に合わせて、子供の服の丈は変わる
・・・もちろん、あの頃の祖母の本心は今になっては分かりませんし、もしかしたら単純に経済的な理由だけだったのかもしれないんですけども、仮にでも上記のように考えると「大きな丈の服ばかり着させられていた子供の頃の僕」が報われるような思いを覚えます。
そして、ピッタリの丈のオシャレな服を着ている子供たちを見ても「おお、ご家族からしっかりと愛されてるな、良かった」と、ほっこりした気持ちになれます。
もし祖母が「小さな服はみすぼらしいから」と親心でブカブカの服を買ってくれていたのだとしたら、僕が子供の頃は「大きな服を着せるのが親心」という考えが存在したということになります。一方で現代は、「子供にピッタリな丈の服を着せるのが親心」という考えがありそうです。
時代の流れによって、子供の服の丈は変わるけれど、親心だけは変わっていない。そんなことを考えながら僕はマフラーを絞って、丈がピッタリの服を着た子供たちとすれ違ったのでした。
今日の写真
今日の写真は、島守盆地の取材の時に撮影してあった、収穫もされずに立ちつくしていた柿の木です。蜜にその身を浸したものすごい数の柿が山中でただ寒風に吹き付けられているこのような光景を、子供の頃の僕は鬼ごっこや隠れんぼの最中によく見たものでした。そんな時、面倒で手袋を使っていなかった僕の手を温めていたのは、祖母が買ってくれたブカブカの外套の袖だったことを、今この文章を書きながら思い出しました。
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