
のっけから挑戦的なタイトルですいません(汗) 腹立たしく思う人もいるかもしれませんが、とりあえずは「ほぼ日刊イトイ新聞」さんの新春特別連載「タモリ先生の午後2009」の「第4回・『惜しい』の美学」から読んでもらえればと思います。
下らない話のようで含蓄深いタモリと糸井重里の対談の中で、タモリがこんな事を言っています。
タモリ 『われわれは「惜しい」って女性にいちばん「色気」を感じるんですよ。』
そうそう、これこれ! と思います。この言葉って、他には「スキがある」とか「完璧じゃない人間らしさ」とか、色々と言い換えられると思うんですけど、殊に女性の色気という情感的なものに対しては「惜しい」という言葉のチョイスがベストだと思います。男は「惜しい」女性に「色気」を感じるように思います。
色気って何だろう?
「色気」というのは、「男がまっとうな手段で女性と付き合う」というものではなく、「女性が匂わせる魅力によって、不可抗力的についつい口説きたくなる」ような感じでしょうか。そんな風に表現される色気のフィールドでは、完璧な美しさや聡明さってむしろ邪魔なんです。パーフェクトな美しさや聡明さが「直接的に男を呼び寄せる力」とすれば、色気は「間接的に男が口説きたくなるニオイ」と言えるでしょう。美点も欠点もそのままに、何も隠さずありのままに振る舞っている女性に垣間見える「惜しい」ところがないと、色気って出てこないです、やはり。
八戸の色気
で、何が言いたいかというと、八戸って色気があるように思うんです。都会を余所目に第一次産業が色濃く残っていて、不況の影響をモロに受けて、それでも地元の人は元気に横町やら朝市やら祭りやらを盛り立てているけれど、突き抜けるような活気が出てきているようにはイマイチ感じられない。
このプラスとマイナスのマーブル模様こそ「色気」ですよ。当サイトのフォトジャーナル「古くて寂しい。それが僕らの町 〜本八戸駅・鮫駅」でも触れましたが、古かったり寂れていたりすることを、隠しちゃダメだと思います。むしろそういった上手くいかないところも含めて「港町文化」としてパッケージして正直に発信しないと、「無理に整形して生兵法で勉強したウソまみれの女性」みたいに色気が出てこないんじゃないかな? って思います。
役場の人には申し訳ない書き方をしてしまうんですが、新しく計画されている「八戸市中心市街地地域観光交流施設」も陸奥湊の再開発計画も、変に八戸の実情を隠し立てるようなものでは成功しないように僕には思われるんです。そんな活性化案は、日本中何百と失敗していますしね。役場の皆さんには、日本中で失敗している通りいっぺんの活性化ではなく、斬新で「色気」のある活性化をしてほしいなぁ・・・と、ごくごく個人的に思ってます。エラそうなこと言ってスイマセン。
というわけで、ものすごく示唆的なタモリと糸井重里の話がタダで読める連載、是非読んでみてくださいね。「タモリ先生の午後2009」。
今日の写真は色気がテーマ
今日の写真は正月の夕暮れ、太陽が落ちるギリギリの瞬間に一筋の夕日が指した葦毛崎展望台です。光と影があって、建築美と荒れ野があって、実に色気があるように思うんですけど、どうでしょう?
- Newer: 古畑任三郎を再評価する:堺正章「動く死体」
- Older: 漁師小屋というデカダン(山本直樹『堀田』と八戸)




