
年上を敬う気持ちが薄れている、と嘆く人は多い。なんとかするべき、なのでしょう。どうしましょう? そこで思ったんですが、年上の人を敬う気持ちは、「古いモノを敬う気持ち」と心の中で同じ根っこを持っているように思います。例えば・・・
- 年上の人を敬う気持ち
- 古い時計やら車やら、機械(モノ)に惹かれる気持ち
- 昔存在した文化・風俗の偉大さを羨む気持ち
なんてのは、多分心の中では「古い」と「良い」がどれほど接近しているか?という事で大きく左右される事柄なのでは?と予想します。。「良い」の周りを「新しい」「効果的」「自分」などの概念が囲んでいる人は、おそらく老人もアンティークも古い時代にも、敬意を持てないのではないかなあ。
ならば、老人を敬う文化を作るためには、同時に古いモノや古い時代を生活の端々に登場させ、かつそれらを好きになるようにすれば良い・・・かもしれない。
この点、田舎に住んでいると、そもそも経済の新陳代謝が遅いから、平気で何十年前の家とか家具とか車とかテレビとかが身の回りに溢れています。でも都会に住んでいると、新しいものばかりに囲まれて暮らしているから、当然古いモノには触れられないし、昔を思い返すこともない。新しい家具を買って新しい家に住んでいながら「年寄りを敬え」と注文するのは、正直かなり難しいことを言ってるんじゃないかな?と思います。
新しいモノに溢れた世界に住んでたら、そりゃ子供だって「新しい」という概念が好きになるって、ね。子供は世界の様子を見て、「古いという概念はどの程度尊重すべきか」を判断するに決まってます。
八戸は古いものに囲まれています。新しい建物を建てたり、新しいものを買ったりするお金が無いからです。でもそれは、「古きを尊ぶ精神」を同時に育んでいる。古さを一方的に非難するべきではありません。
新しさと古さが、若者と年寄りが互いの価値を認めた時、人々の暮らしは静粛に輝くような、そんな気がするんです。
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